kameKiKu’s blog、小さな庭日記

バラ好き、コーラスとパッチワークが趣味の関西在住シニア、植物と共に日々雑感

白黒映画

PM2.5も襲来していたりしながらも、五月晴れのいいお天気が続いている。空気も乾燥しているのか、爽やかで過ごしやすい。過ごしやすい時期が最近は少ない。暑いか寒いかと振幅が極端になりやすい。テレビを見たり庭仕事をちょこっとしたり、のんびり三昧?の毎日。

 

(クレマチス)

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テレビを付けながら、大概は手仕事の何かをしているので、ドラマとかあまり、というかほとんど見ない私。何年か前の韓流ブームでは「冬のソナタ」など見たりもしたが、今は見ない。じゃあ何を見ているのかというと、お笑いバラエティーとか、ニユース、ワイドショー、討論番組など、聞いているだけでいいものが多い。

 

(クレマチス  紫のも開いて来た)

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そんな中、昨日はBS12で「近松物語」という映画をやっていた。1954年に制作された、溝口健二監督の白黒映画。白黒映画というだけで、あまり見る気がしなくなる時もあるのだけれど、この映画には、何故か引き込まれるものがあった。

 

(黄モッコウバラ 西側の境にかなり伸びている)

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長谷川一夫香川京子の主演人。私は映画のことにひとつも詳しくもなく、ただ見て良かっただの、物足りなかっただのと言うだけのことだけれど、昔の時代劇の作りは今より丁寧な感じを受けた。白黒なのに画面が美しいと感じられたし、長谷川一夫香川京子の二人の演技も良かった。

 

 

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そしてここと言う時流れるバックミュージックというか、効果音のようなものが、浄瑠璃か何かのような和楽器の音で、それも画面を盛り上げていた。引き込まれて最後まで映画を見てしまった。もちろん私ごときが言うまでもなく名作だ。

 

(君子蘭  3鉢とも咲いた)

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映画と言えば、父は映画好きで、よく見に行っていた。まだ一年生くらいの私の口から、スラスラと「好きな女優さんはジーナ ロロブリッジーダ」などと言ったりしたのも、彼女が出ていた「ノートルダムのせむし男」という映画を連れられて見たせいだった。今でも、映画の筋は忘れたのに、せむし男が大聖堂の高いところから、綱にぶら下がって降りてくる様子など、覚えている(笑)。

 

(カラスノエンドウ  これは私の知っている野草 知らない名前のが沢山ある  野の草花も可愛い)

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最近は一年に一度くらいしか映画館に足を運ばない。見たいと思う映画があまりないからだろうか・・・ツタヤにもご無沙汰している。テレビ桟敷で・・・見ようか。おっとこんなノンビリしている毎日でいいのか、あー暗譜に追われているのに、それも勝手にホリデーにしてしまっている私。。。

牡丹の寺・・・乙訓寺

牡丹が真っ盛り。牡丹は綺麗な時期が短い。早く見に行かなければ、と牡丹の花を見に牡丹の寺で有名な乙訓寺を訪れた。ちょうど満開の時期で境内の中の牡丹は、色とりどりの華やかな花色であふれていた。二千株くらいある牡丹は、始まりは大和の長谷寺から献木されたことによるという。

 

 

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乙訓寺は推古天皇の勅願を受けた聖徳太子によって建立されたという。十一面観世音菩薩が本尊の真言宗の寺である。本堂に上がってみると、正面には鏡が祀られていた。鏡は神道、神社が祀るものと思っていた私には、ちよっと意外だった。十一面観音菩薩像は右の方に置かれていた。

 

 (五色の幕が風にはためいている 1300年以上の歴史を持つ)

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9世紀初めごろ、空海最澄がこの乙訓寺で会いまみえたという。仏教界の二大巨頭が密教について、日本の仏教についてなど熱く語り合われたという。

 

 (入り口を入るとよしずの下に牡丹がずらっと並んでいる)

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本堂の中で、御朱印を受け付けていた。私はまたまた御朱印帳を忘れて来てしまった。信心が薄いせいか御朱印帳を持って出かける方が少ない。それでも紙に書かれた御朱印をもらい、家に帰ってから御朱印帳に貼り付けた。

 

(牡丹に白い唐傘をかぶせている)

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御朱印と言えば、去年神社などを訪ねるサークルの仲間達と、出雲地方を回った時の事。ある神社を訪れた時、このときも御朱印帳を持っていくのを忘れて、それでもあちこちで御朱印をいただけていたので、ここでもいただくつもりで、私のももらってきてあげると同行の知り合いが、勇んでお札の窓口に行った。

 

(花びらの数が沢山) 

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その神社は小さいが、古くからの由緒ある神社で、人里離れたところにあった。しばらくすると、知り合いはすごすごと戻って来て、もらえなかった、と言った。御朱印帳を忘れたときにもらえる書いてある紙もないので、シワのついた何かの裏の紙を差し出した知り合いに、巫女さんは厳しい表情で、「御朱印を何と心得ているのですか!」「御朱印はあげられません」そんな紙には、ということだろうけれど、キッパリと言い渡されたという。

 

 

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厳しい物言いに予想外で驚いたものの、神社の誇りと矜持を体現している巫女さんに、何かしら清々しさを逆に感じたものだった。確かに私らの軽いぞんざいな振る舞いが、良くなかったことは事実だ。それでも、現代の俗に言う様々な儲け主義にまみれた寺社ばかりを、身近に見ている私には驚きでもあった。薄い信仰心で軽く考えている御朱印に、呆れられたのだろう。御朱印といえば思い出すことだ。

 

 

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御朱印帳を眺めてみると、近畿地方の寺社のは、筆で書いてある文字が、味わいのあるものが多いし、ダイナミックに書かれていたりする。それ以外の地方の寺社のは、あっさりしていて、なんだか面白みがないように私には思える。書ける方も少なくなっているのだろうか。御朱印帳もこんな思い出と共にたまに開いて見る。

 

 

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牡丹が咲いた・・・・

連休がやって来た。学生の時は学校が休みで嬉しかった。今は連休とは無関係な暮らし、今日何日だかも意識にない時がある日々。曜日は、決まりで出かける日があったりするので、意識下にはあるけれど(笑)・・・。どこも混み合う連休は静かに家にいよう。首肩の痛みは8割方治まったが、残りの少しの痛みがまだあるし、養生をしよう。年を取ると治るのも時間がかかる。

 

(牡丹  株はずいぶん年数は経っている  純白の花を三つ 花びらはシルクのよう)

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ふと気づいたら牡丹が咲いていた。ついこの間まで蕾だったのに・・・。白い牡丹。その昔ン十年も前、ここに家を建てた頃に、島根県大根島から牡丹を売りにオバサンがやって来たので、4株買ったものだった。何と可哀想にも残っているのはこの一つだけ。

 

(クレマチスも咲き始めた)

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島根県大根島は、牡丹の島と言われている日本一の牡丹の産地。私も行った事が何回かある。「立てばシャクヤク座れば牡丹歩く姿はユリの花」などとは今はもう言わないのかもしれないけれど、子供の頃はよく聞いた言葉だ。花色も豊富で、あでやかな花であることには、間違いない。

 

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我家の牡丹は花びらがすくないけれど、もっと沢山花びらのある牡丹は、やはり見ていても豪華な感じがする。別名「富貴草」とか「百花王」とかいうというのも納得。花言葉は恥じらい。

 

(これは昨年九月頃に蒔いたストック   種から咲いて嬉しいけれど何だかヒョロっとして形が悪い)

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我家のバラ達は黄モッコウバラが五分咲き、もう少しで満開になる。あとはグラス アン デプリッツが蕾を大きくしている。モナ リザも。ゾウムシに打ち勝ってどれだけ咲いてくれるか。

 

(土手のチューリップとハナニラ)

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二年前にご近所からアンジェラの挿し木苗を、何本かもらったのだけど、私は鉢植えにしている。今年はだいぶ伸びてきた。ご近所の地植えのアンジェラは毎年沢山花を付ける。お留守が多かったりして、薬なども撒いていないのに花が沢山咲くのは、虫が蕾の数に追いつかないからという(笑)。我が家のアンジェラはまだひ弱。でもゆくゆくはそうなって欲しい。アンジェラは丈夫。

 

(バラの足元にタイムが育ってしまった。育てたのは私だけれど、こうなるとは思わなかった(笑)。バラの肥料をタップリ取って元気いつぱい。ちよっと少なくしなければ・・・)

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そういえば、「薔薇」という漢字は書けない漢字の一つとしてよくあげられる文字。バラと書くのとは、同じ花のことを言っているのに、何だか違うみたいな雰囲気(笑)。車を運転しながら、あちこちのお庭の花に目がいくこの頃。

先日の漢字三千年展では・・・

先日の「漢字三千年展」は、岡崎の美術館別館でつい先ごろまで開かれていた。もう数日前に終わったはず。四万字もある漢字の歴史。私達が習ったのはその中のごく一部の常用漢字の2136文字。常用漢字と今は言っているらしいけれど、私達が習ったときは当用漢字と言っていた。それすらも今はパソコンなどの時代で、読めてもなかなか文字を書くことが少なくなり書けなくなった。

 

(エビネが咲いて来た)

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甲骨文字から青銅器に書かれた文字の金文から現在の漢字まで、何千年も続く漢字の歴史は、いかに簡略化していくかの歴史なのだそうだ。そういえば現在の中国では簡体文字だ。私達が見学している時学芸員?の方が色々説明して下さった。ほんの少しだけ漢字のことについても学んだりしている私は、質問にも答えて下さるので、なおさら見甲斐があった。

 

(キャットミント、バラの横に植えている いい香りがする)

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鹿という文字を四つ書いて何と読むか、教えてくださった。その書の前で、鹿四つで「ソ」と読むという。鹿が群れで走っている時、一頭一頭の間はかなり間隔が空いているので、「ソ(疎)」のことを表すという。ナールホド(笑)。男という漢字三つだと「たばかる」と読む。ナールホド(笑)。後まだ教えていただいたのに忘れてしまった(笑)。そういう意味でも早く頭を整理しなくては・・・。

 

(そろそろ咲き始めたモッコウバラ)

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また、中国のただ一人の女帝、三大悪女として名高い則天武后が作った則天文字というのがあり、自分の権力を示すためや、好みの文字となるよう作られた漢字があるが、則天武后が失脚するとすぐに使われなくなり忘れ去られた文字という。その則天文字の拓本軸などもあり、その文字の一つは、日本で最も有名な水戸光圀の「圀」という文字で、これは中に八方という文字を入れ、縁起がいいとして作られた則天文字の一つ。権力につくと文字まで意のままに作る、ということは凄いことだ。

 

 (写真では見えないが、左胸に「不」という文字が刻まれている。何千体もある兵馬俑のなかでも7体しか「不」という文字が刻まれているのはないのだとか。制作集団の印なのか、個人の名前なのか、または全く別のことなのか、謎であるらしい。) 

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則天文字が使われたのは15年間の690年から705年くらいまでらしいのだが、それから千年後くらいの日本で使われるというのも面白い。書聖と言われる王羲之の書の拓本軸をみたり、銅製の盤や器に書かれた金文などを見学した。

 

(鼎 かなえに書かれた漢字  鼎は君主などの権力の象徴として用いられた)

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何よりも良かったのは、そこの売店で、日本の漢字学の大先生白川静(1910~2006)さんの「漢字の世界」という文庫本の1と2を買うことが出来たこと。専門的なことは頭を素通りだけれども、漢字の成り立ちなどがよくわかる。しかし、学問の世界はなかなか至難なものがあり、白川静先生の「口」という文字は神様に祝詞を入れるサイという器であるという「サイ学説」、呪術的な漢字の字源を全否定する説もあるようだ。

 

 

(拓本軸の真ん中のキズは元の石を修復して継ぎ足した跡という)

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どちらにしても、知識を得るのは喜びがある。最も、知識を得ては忘れ、得ては忘れの私ではあるけれど・・・(笑)。

 

ところで話は変わります。バフ ビューティーの茎に擬態しているんでしょうか、なんかシャクトリムシのような虫がいてビックリ。撮影したあとは捕獲処分しましたけれど・・・。どこにいるか分かりますか?(笑)。朝昼晩見回らないと(笑)。

 

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大敵ゾウムシが出始めた

首筋、肩の痛みも少しずつ取れてきて、あともう少しというところ。暖かいいいお天気になると、庭の植物達の顔をひとつづつ見て回ったりする。もう蕾をつけているメアリーローズやグラスアンアーヘン、ロココ、バフビューティーなど、なんて可愛いんだろう。まだ小さい蕾なのだけど、愛らしい。

 

(レナンキュラスが咲いて来た)

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そんなけなげに季節が来ると蕾を付けてくれるバラ達に、そろそろ来ています、大敵ゾウムシ。無農薬栽培だからか、我が家をゾウムシたちが食事レストランにしているかのように、気づかないうちに蕾の下の細い茎のあたりや、新芽の先端をやられ、カリカリ乾燥して枯れてしまっている。

 

 

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まだこれからのピークより数が少ないのか、現行犯を見つけてはいないが、少しずつ被害をもたらしている。これには本当に困ってしまう。見つけ次第手で取るしかないゾウムシとの戦いが、これから始まるのだ。

 

 

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今日の「趣味の園芸」ではナメクジの被害を避けるのに、鉢の中に銅線をクルリと回して入れて置いたらいいと言っていた。その上、縁の周りにアルミハクを置いていた。光るものがキライらしい。アルミハクは見た目がどうかなと、銅線だけは早速実践にうつしてみた。

 

(十二単アジュガと呼ぶらしいのだけれど、私は十二単としてインプットされている)

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ナメクジさんも、(ナメクジにはさんをつけてもオッケーだわ、バラにはそこまで悪さしないから)パンジーの花びらを食べる食べる・・・。よく日の当たる所のパンジーなのに、どうしてナメクジさんがいるのか・・・。時々鉢の下を見て見なきゃ。銅線の効果もどうなるのか様子を見てみよう。

 

(スミレ)

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木立ベゴニアやポトスなどの植え替えをした。

暖かくなるのは嬉しいけれど、これから色々な虫さん達と戦わなきゃ・・・

 

(ポトスを植え替えた)

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痛かった・・・・

桜見物も一段落、あちこちのお花見に行くことが出来て、この春のお花見は満足なうちに終わった。そうして浮かれた呑気な毎日を送っていたら、次にきたのは痛い日々だった。

 

(土手の花)

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火曜日、裏の土手に降りようと、フェンスの扉を開けて降り始めた。我が家の借景の裏は見晴らしがいい。土手にチューリップやスイセンが咲いているので、花ばさみを手に持ちながら降りようとしていた。その降りようとしたものは、脚立。脚立を階段代わりにしていたのだ。

 

(山桜)

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後ろ向きに降りて行くつもりで、一段目は良かったのだが、二段目で足を踏み外し、まるでスローモーションのように、右手に花ばさみを持ったままで仰向けに、脚立から90度横に落ちてしまった。下の土手までの高さは1.3mくらいある。

 

(ムスカリ)

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仰向けで落下したので、無意識に頭を首で持ち上げて、頭を打たないように落ちたようだ。ハサミを持った右手は上に上げたままで(笑)。頭を打ったりでもしたら、今以上に悪くなったら困りますしね、それとも衝撃で良くなったかしら(笑)。

 

ともかくそのせいで、右首の筋を痛めてしまい、スイミングで治るかと思ったけれど、背泳ぎもクロールも腕を動かすと右首筋と右肩あたりが痛くて無理。寝がえりも首が痛い。というわけで今、整骨院のお世話になっているのです(笑)。

 

(ボタンが蕾をふくらませている)

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私はまだまだ高齢者ではないけれど(ここのところ強調(笑))、高齢者の家庭内事故が70パーセント以上というデーターがあるように、それは本当かもしれないと自分が転んだことで思ったことだった。

 

(グラスアン デプリッツが蕾をつけている。 バラ達にはこれからゾウムシが大敵)

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仰向けに落下したのが良かったのか、下が土であったのも良かったことだし、骨折などせずに済んで良かった。一日毎に痛みは和らいでいるので大したことはないのだけれど、落下、転落事故など初めてのことだった。

 

浮かれた後は痛い日々(笑)。ちょっと痛みが治まるまでスイミングが・・・(+_+)。。

 

桜・・・散りはじめ

日曜日、ピアノコンサートに行った。開演時間を間違えていたので、会場入りするまでに時間が出来た。それですぐそばの御苑を散策することにした。もう桜も終わりだろうと思っていたのだけれど、枝垂桜や八重桜がまだ咲いていた。

 

(御所の八重桜)

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25度を越える汗ばむ良い天気の桜の下では、思い思いに敷物をしき、お弁当など食べてくつろいでいる花見風景がみられた。それもそんなに沢山な人出ではないので、人と花のバランスがちょうどいい。

 

 

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御所の入り口に人が入っていくのを見たので、近寄って行くと、中に入れるのが分かった。と言うのも、私が知っていたのは、春と秋の御所の内部の特別公開というのがあったので、その特別公開期間なのだろうかと思った。随分前、その特別公開に行ったりしたこともあるし・・・。

 

 

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けれど春季特別公開ではなく、昨年から火曜日から土日も毎日見学出来るように変わったのだという。海外からの観光客を、京都に取り込もうとする一環なのだろう。時間もあったので、私達も中に入り見学をすることにした。

 

(紫宸殿)

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きれいに手入れされた松の木の植え込みなどを過ぎ、朱塗りの柱の辺りも過ぎて行くと、広い空間の向こうにある紫宸殿は、清々しい清潔さと整然とした趣、日本的な簡潔な美しさの風情を見せていた。

 

 

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この間行ったタイの王宮でも、中国の紫禁城でも、ヨーロッパの王宮や城などでも、王宮といえば贅の限りを尽くした豪華絢爛な所だ。極東の端っこにある日本では、それとは真逆、むしろ質素な御所に見える。大政奉還までは、権威はあっても権力は持たなかったということも関係しているのだろうか。

 

(建礼門)

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日本的な美意識というのは、細部にこだわるのはもちろんだけれど、なにか付け加えていく美ではなく、不要なものを取り去っていく美のように感じられる。利休が広めた侘び寂びの世界もあるし・・・。信長がもっと長生きしてたら、安土桃山の豪華絢爛文化がもっと根付いたのではないだろうか、などとちらりと思ったりする。

 

(清涼殿)

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御所の毎日公開になってからは、外側から見るだけになっていた。以前は確か中に上がって襖絵やらも、高御座も見た記憶があるけれど、記憶が遠いのでどうだったのかな・・・。毎日となると、襖絵なども傷むので障子は閉め切ってある。一部がガラスで覗けるようにはなっていたけれど。

 

(我が家のチューリップ)

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コンサート会場には開演時間前に余裕で入り、ショパンラヴェル 、ドビュッシーの曲のピアノコンサートを聴き、心地よいひと時を過ごした。開演時間を間違えたおかげで、思いがけず目も耳も楽しめた一日となった。

 

(土手の桃  今年は遅かった これももう散りはじめ)

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