kameKiKu’s blog、小さな庭日記

バラ好き、コーラスとパッチワークが趣味の関西在住シニア、植物と共に日々雑感

説明会~五塚原(いつかはら)古墳

昨日の新聞記事に、京都市の西隣の向日市にある五塚原古墳で、首長の縁者の物の可能性もある埴輪棺が発掘され、土曜日の今日説明会があると書かれていた。説明会~いつもそういう記事を見かける度に、行きたいと思いながらも、寒かったり時間がなかったりでなかなか行くことが出来なかった。今日は秋晴れのいいお天気、夫も引っ張って初体験の説明会に出かけてきた。

(コスモスがきれいに咲いていた) 

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私はここのところ古墳好きになり、箸墓古墳や黒塚古墳(奈良)与謝野町古墳、私市(きさいち)古墳(京都)(昨年の10月31日のブログにも書いた)など見に行ったり、高槻市にある今城塚古墳や仁徳天皇陵(大阪)など古墳巡りや神社等古い歴史を尋ねたりを時々している。出雲地方に行った折にも、その地方に特に多い四隅突出墓(昨年の10月の旅編1に書いた)等も見たりした。

 

(古墳の登り口) 

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今回の五塚原古墳は、箸墓古墳の1/3サイズの相似形の前方後円墳で、全長91.2m、後円部直径54m、高さ8.7m、前方部直径40.5m高さ4mの古墳時代前期の物、全国の古い前方後円墳の中でも10の中に入る 古墳という。箸墓古墳と同じ時代の古墳だとか。知らなかった。意外と近くにこんな古墳があるなんて~。古墳のメッカ、奈良の方面ばかりに目が行っていたのに(笑)。

 

(第八次発掘調査で発掘されたもの) 

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それにしても桜井市にある箸墓古墳とこの古墳は同じ作り方で、前方部分と後円部分を別々に造り、後からくっつけている工法というが、古墳時代の前半、卑弥呼の時代あたりに、かなり離れている距離なのに、同じ造りというのは、ここの首長がかなりの大物だったのか、箸墓の被葬者等となんらかの関わりがあったのかとか、様々に推測が浮かんでくる。

 

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この古墳から埴輪棺が出たということが、考古学的には大変重要な事なのだそうだ。埴輪棺というのは、朝顔型の埴輪土器を棺に転用して、破片を蓋にして小石で被覆されていたという。そしてまた、この埴輪棺が、前方後円墳が出来た時に埋葬されたのではなく、それから80年以上経ってから、後から埋葬されたのではないかと推測され、そこも非常に重要であると。

 

というのも、この埴輪棺が、妙見山(四代目)の埴輪棺と作り方の特徴がそっくりだということがわかっている。五塚原古墳(初代)が造られた時と、埴輪棺の作られた時代が違うということなのだ。それで、妙見山古墳から持って来たか、または同じ制作場所で作らせたかの二通り考えられるが、妙見山古墳から持って来たと考えるのが自然だろうという。

 

(古墳は裾から墳頂まで三段に築かれている。)

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この向日丘陵古墳群には、古代の首長の古墳が、初代から五代目位まで点在しているが、五塚原古墳は初代の首長の古墳である。その代というのが、世襲ではなく、兄弟だったかもしれないけれど(世襲制が固まるのは五世紀頃)、とにかく血縁の系譜がうっすらと浮かび上がってくるのも、今回の発掘の埴輪棺からみえることのようだ。

 

 (なかなか写真では分かりにくいが、石ではない右の方の茶色い土器の色のもの)

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このことから、3世代以上離れた埴輪棺が埋葬されているという事が分かり、人骨などは出ていないが、これまでの多くの古墳の人骨の調査等から、一つの古墳には血縁のまとまりがあるので、80年以上も離れた時期に、初代の血縁の者を埋葬したのではないか、という新たな事実が浮かび上がってきたという事だった。

 

(後円部の頂上部分)

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埴輪棺は80cm位のものなので、おそらく乳幼児だろうと推測されるという。しかし、この古墳では、このほかには第8次発掘の現在までに、一つの埴輪も出ていないということで、何だかそれも不思議に思える。

 

(裏で咲いているホトトギス)

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説明会はやはりためになった。少しは若い人達もいたが、多くはシニアの古墳好きの方達が集まっていた。丘の上の爽やかな空気と古代のロマン、いい古墳日和だった。ただ古墳はどこでも山の上にあるので、足が元気じゃないと~(笑)古墳に興味のない方には退屈な文だったかもしれないですね。

 

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