オルビエートでの演奏会は、午後9時から始まり、11時頃に終わり、全てが終わったのは11時半頃、という私達にとっては深夜のようなコンサート時間でした。そんな時間にでもお客さんが入ってくれるというのは、やっぱりラテンなんでしょうか。
お店など、午後からしばらくの間シェスタと言って昼休みみたいになり、店を閉めてしまう所もあるのです。ミラノあたりの大都会やおおきな会社ではなくなっているようですが、地方ではまだまだシェスタがあるようです。お国柄ですね。
(アッシジの大聖堂 薔薇窓)
アッシジは聖サンフランチェスコの出身地、クリスチャンの巡礼の地として有名です。フランシスコ会の創設者として、そしてまたイタリアの守護聖人としてフランチェスコの名前はしられています。昔教科書にあった、小鳥と話しをするフランチェスコ、覚えていませんか?
富裕な商人の子供だったフランチェスコが、一切の物質欲を捨て、父なる神にのみ従い、麻の布を身にまとい縄の腰ひもをし裸足で布教をしたという。フランチェスコが布教を始めたのは13世紀初め頃のこと。
2008年にも演奏旅行をした時には、アッシジの大聖堂で歌わせてもらうことが出来き、異教徒の日本人が大聖堂で歌うのは初めてですと言われ、感激したものでした。
(フランチェスコ大聖堂に行く道です。)
大聖堂に行くまでに、サンタ キアーラ修道院があります。キアーラも裕福な家に生まれたにも関わらず、フランチェスコの説教で心を動かされ、最初に帰依した人といわれています。フランチェスコ会の女子修道会を創設しました。聖堂にキアーラの遺骸を納めた部屋があり、遺髪や彼女の服なども展示されていました。
(サンタ キアーラ修道院)
そしてペルージャにも少しの間立ち寄って、フィレンツェに到着したのでした。ペルージャには、ペルージャ大学があり、イタリア語を勉強する人は大体この大学に留学するとかききました。ペルージャといえば、中田英寿ですね、彼はさすがに有名です。
(高台の公園からペルージャの街を見下ろす)