萩観光の後、下関市へは夕方着いた。まだ時間があったので、赤間神宮へ行った。赤間神宮は安徳天皇をまつる神社、平家一門をまつる神社として知られている。平安時代あたりは、私の日本史の知識も朦朧としたものなのだけれど、その当たりのことは、チラリと頭にあった。
(赤間神宮)
幕末から遡り平安時代の一大事件になるのだが、源平合戦で壇之浦まで追い詰められた平氏が、いよいよ敗色濃くなった時、二位の尼が安徳天皇を抱き抱え、まだ何も分からない幼い安徳天皇に、阿弥陀の浄土へ行くのだと言い聞かせ、船から海中に身を投じ、建礼門院ら平氏の女達も次々と身を投じ平氏終焉の地となった壇之浦。
(昭和40年頃に新しい社殿が建てられたようだ)
(楼門の所からは海が見える)
海に向かって建つ赤間神宮は、朱塗りの楼門が際だっている。境内に立って海側を眺めると、そこには海が見え隠れするように建物が眺望を遮っていて、眺めとしては少し残念な気もした。歴史を飲み込んでいった瀬戸内海の海。何百年後の私にも感慨を抱かせる海だった。
(壇之浦)
翌日は下関から門司へ走った。下関から門司はもう目の前、すぐ手が届くような近さだ。レトロなJR門司港駅に行くと、大正時代の鉄道員の制服に身を包んでいる若い駅員が、改札業務をしていた。よく見ると、他の窓口業務の駅員も全員が大正時代の制服を着て仕事をしていた。
(レトロ門司港駅)
ホームの屋根も木造で出来ていて、ぶら下がっている電灯も、昔ながらのもので、懐かしい味わいを駅全体が出していた。映画の撮影にもピッタリなような~。
(ホーム や電灯がレトロ)
駅周りは海の側で、その当たり一帯がレトロな地区になっているのか、洋館がいくつも建っている。旧門司三井倶楽部、旧門司税関、旧大阪商船等など様々な洋館が、今ではギャラリーやカフェ、レストランや店舗になって使われている。昼過ぎ次の鞆の浦へ出発した。
(旧門司税関この他にも沢山建物があった)
(ブルーウィング門司 ちょうど跳ね上がった所を見た)