日曜日、ピアノコンサートに行った。開演時間を間違えていたので、会場入りするまでに時間が出来た。それですぐそばの御苑を散策することにした。もう桜も終わりだろうと思っていたのだけれど、枝垂桜や八重桜がまだ咲いていた。
(御所の八重桜)
25度を越える汗ばむ良い天気の桜の下では、思い思いに敷物をしき、お弁当など食べてくつろいでいる花見風景がみられた。それもそんなに沢山な人出ではないので、人と花のバランスがちょうどいい。
御所の入り口に人が入っていくのを見たので、近寄って行くと、中に入れるのが分かった。と言うのも、私が知っていたのは、春と秋の御所の内部の特別公開というのがあったので、その特別公開期間なのだろうかと思った。随分前、その特別公開に行ったりしたこともあるし・・・。
けれど春季特別公開ではなく、昨年から火曜日から土日も毎日見学出来るように変わったのだという。海外からの観光客を、京都に取り込もうとする一環なのだろう。時間もあったので、私達も中に入り見学をすることにした。
(紫宸殿)
きれいに手入れされた松の木の植え込みなどを過ぎ、朱塗りの柱の辺りも過ぎて行くと、広い空間の向こうにある紫宸殿は、清々しい清潔さと整然とした趣、日本的な簡潔な美しさの風情を見せていた。
この間行ったタイの王宮でも、中国の紫禁城でも、ヨーロッパの王宮や城などでも、王宮といえば贅の限りを尽くした豪華絢爛な所だ。極東の端っこにある日本では、それとは真逆、むしろ質素な御所に見える。大政奉還までは、権威はあっても権力は持たなかったということも関係しているのだろうか。
(建礼門)
日本的な美意識というのは、細部にこだわるのはもちろんだけれど、なにか付け加えていく美ではなく、不要なものを取り去っていく美のように感じられる。利休が広めた侘び寂びの世界もあるし・・・。信長がもっと長生きしてたら、安土桃山の豪華絢爛文化がもっと根付いたのではないだろうか、などとちらりと思ったりする。
(清涼殿)
御所の毎日公開になってからは、外側から見るだけになっていた。以前は確か中に上がって襖絵やらも、高御座も見た記憶があるけれど、記憶が遠いのでどうだったのかな・・・。毎日となると、襖絵なども傷むので障子は閉め切ってある。一部がガラスで覗けるようにはなっていたけれど。
(我が家のチューリップ)
コンサート会場には開演時間前に余裕で入り、ショパンやラヴェル 、ドビュッシーの曲のピアノコンサートを聴き、心地よいひと時を過ごした。開演時間を間違えたおかげで、思いがけず目も耳も楽しめた一日となった。
(土手の桃 今年は遅かった これももう散りはじめ)