kameKiKu’s blog、小さな庭日記

バラ好き、コーラスとパッチワークが趣味の関西在住シニア、植物と共に日々雑感

牡丹の寺・・・乙訓寺

牡丹が真っ盛り。牡丹は綺麗な時期が短い。早く見に行かなければ、と牡丹の花を見に牡丹の寺で有名な乙訓寺を訪れた。ちょうど満開の時期で境内の中の牡丹は、色とりどりの華やかな花色であふれていた。二千株くらいある牡丹は、始まりは大和の長谷寺から献木されたことによるという。

 

 

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乙訓寺は推古天皇の勅願を受けた聖徳太子によって建立されたという。十一面観世音菩薩が本尊の真言宗の寺である。本堂に上がってみると、正面には鏡が祀られていた。鏡は神道、神社が祀るものと思っていた私には、ちよっと意外だった。十一面観音菩薩像は右の方に置かれていた。

 

 (五色の幕が風にはためいている 1300年以上の歴史を持つ)

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9世紀初めごろ、空海最澄がこの乙訓寺で会いまみえたという。仏教界の二大巨頭が密教について、日本の仏教についてなど熱く語り合われたという。

 

 (入り口を入るとよしずの下に牡丹がずらっと並んでいる)

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本堂の中で、御朱印を受け付けていた。私はまたまた御朱印帳を忘れて来てしまった。信心が薄いせいか御朱印帳を持って出かける方が少ない。それでも紙に書かれた御朱印をもらい、家に帰ってから御朱印帳に貼り付けた。

 

(牡丹に白い唐傘をかぶせている)

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御朱印と言えば、去年神社などを訪ねるサークルの仲間達と、出雲地方を回った時の事。ある神社を訪れた時、このときも御朱印帳を持っていくのを忘れて、それでもあちこちで御朱印をいただけていたので、ここでもいただくつもりで、私のももらってきてあげると同行の知り合いが、勇んでお札の窓口に行った。

 

(花びらの数が沢山) 

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その神社は小さいが、古くからの由緒ある神社で、人里離れたところにあった。しばらくすると、知り合いはすごすごと戻って来て、もらえなかった、と言った。御朱印帳を忘れたときにもらえる書いてある紙もないので、シワのついた何かの裏の紙を差し出した知り合いに、巫女さんは厳しい表情で、「御朱印を何と心得ているのですか!」「御朱印はあげられません」そんな紙には、ということだろうけれど、キッパリと言い渡されたという。

 

 

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厳しい物言いに予想外で驚いたものの、神社の誇りと矜持を体現している巫女さんに、何かしら清々しさを逆に感じたものだった。確かに私らの軽いぞんざいな振る舞いが、良くなかったことは事実だ。それでも、現代の俗に言う様々な儲け主義にまみれた寺社ばかりを、身近に見ている私には驚きでもあった。薄い信仰心で軽く考えている御朱印に、呆れられたのだろう。御朱印といえば思い出すことだ。

 

 

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御朱印帳を眺めてみると、近畿地方の寺社のは、筆で書いてある文字が、味わいのあるものが多いし、ダイナミックに書かれていたりする。それ以外の地方の寺社のは、あっさりしていて、なんだか面白みがないように私には思える。書ける方も少なくなっているのだろうか。御朱印帳もこんな思い出と共にたまに開いて見る。

 

 

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