その昔の昭和時代前半は(もちろん私も知らない時代)、兄弟も5人、6人、10人と子供の数も多かった時代があった。今少子化時代にはいり、子供はいても一人だったりする家族が多い。二人の孫と18日間共に暮らしてみても、子供を育てるのは大変なのに、大人数の子供達を育てて行くのは、本当に大変ではなかったかとあらためて思う。
(サルスベリ 今年は咲くのが遅いし、花が少ない)
昔の母親というのは今と違い、自分の時間もなく、家を守り子育てのみに専念していた。少し前の母親や祖母を思い出せば確かにそうだったのがわかる。
「年寄っ子は三文安い」というように、やはり若い時の我が子のように気を張った育て方とは違い、孫ともなると、まぁ一時的な預かりという違いももちろんあるけれど、甘々になってしまう。
(木立ベゴニア)
夜、一緒に寝ながら、七歳の男の子は、私が「いつもニコニコしているのがとってもいいね」と誉めてやると、「人を見かけで判断したらダメなんだよ」と、昼間のやんちゃは影を潜め、逆に言われ「へー、ちゃんと分かってること言うなぁ」と驚いた。
また別な日には、「僕ねぇ、大人になるのが怖くなった」と言うので、「どうして?」と聞くと、「だってプロポーズするとき、どこかへつれていかなきゃダメなんでしょ?それがどうもねぇ・・・」とか思いがけないことを言うので、私も笑いたいのを抑えながら、真面目に大丈夫なことを言って不安を解消すべく務めたのだが・・・(笑)。寝る前についていたテレビドラマの影響なのかもしれない。
(宇宙アサガオ)
情報いっぱいの今の時代、子供はDSで遊んでばかりいると思っていても、ちゃんと頭で考えていることもあるのだなと、寝る前のひと時、心がほぐれている時に孫がポロリと漏らす言葉に、新鮮な驚きを受けた。
それにしても、私の時代の子育てに比べると、DSにスマホ、今の時代に子育てをするのは、また別の神経を使わされる難しい時代であるようにも思える。
また、今は高齢な一人暮らしの方から、高齢になり夫婦揃って住んでいた時は、毎日寝る時に「今日もありがとう」と言って握手をしてから寝ていた、という話を聞いた。寝ている間に異変があっても、前日に挨拶を交わしていたら安心が得られるのだろうし、悔いも残らないということのようだ。いいことだと思う、見習いたいものだ。
小さい子供からも高齢者からも、それぞれの素直な言葉が私に驚きや刺激を与えてくれた夏。
そんな夏を過ごしているのだけれど、しばらく振りに庭に出て見ると、見慣れない葉っぱが50センチ位になっている。あーこれは3月くらいにアボカドの種を土に埋めたので、その芽が出たようだと分かった。二つ埋めて二つとも芽が出た。
アボカドは種から芽が簡単に出るようだ。最低気温5度くらいは耐えるらしい。当地ではどうか分からないけれど、観葉植物にもなるようだ。早速鉢に植え替え、しばらく育ててみようと思う。
(アボカド)
一年半前挿し木をしたパキラは、元気に育っている。親パキラも天井まで届く元気。
(30センチぐらい 挿し木パキラ)