ぺッチャブリー観光ツアー
旅もいよいよ後半。今日は一日ウェンディーバスのぺッチャブリー観光ツアー。朝六時半、迎えに来てくれるので出てみると、ガイドさんがもう来ていた。タイのツアーは朝早くから始まります。暑いからでしょうか、六時や六時半にそれぞれのホテルなどに迎えに来て拾ってくれるのです。今回は私達二人だけと言うことで、ちょっと拍子抜けしたのだけれど、ラッキーとも思った。九人乗りくらいの車に、二人でガイドさんと運転手さんを独り占めなのだから(笑)。
(高床式の美しい外観)
ガイド氏の名前は聞いたのだが、タイ人の名前は覚えにくいので、頭に残っていない。よく話をしてくれるガイドさんで、お喋りな私と会話が弾んだ。普段は聞けないこタイのアレコレを聞いてみたり、日本のことを伝えてみたり。。。
マルカタイヤワン
バンコクから真っすぐの道をひたすら走り、3時間くらいだろうか、初めの見学地マルカタイヤワンに着いた。ここはラーマ6世の命で、1923年にチャームとホアヒンの間の海岸沿いに建てられた夏の宮殿。イタリア人建築家の設計で、ヨーロッパと東洋の様式を取り入れた高床式の宮殿である。工事中で外からしか見ることはできなかったが、海を前景にして景色の良い宮殿だ。
大木が伸び伸びとそびえているのが印象的で、ガジュマルのような木が、根を何本も延ばしている巨木があり、南国というのをつくづく感じる趣だった。そういう木を見て歩いていたら、ガイド氏が「カメレオンがいますよ」と言う。見ると木の幹に、体を反らして木になり切ったトカゲより少し大きいものがいた。
(石廊下は大理石が敷かれている)
(沢山の巨木 気根だろうか多くの根が・・・)
(カメレオン)
カメレオンとはもっと大きいものかと思っていたのだけれど、写真で調べてみるとやはりカメレオンだった。えー!カメレオンを直に見たことなんて初めての体験。当分私の自慢話になりそう(笑)。。。
(木が木を飲み込んでいくような、ちょっと恐ろしさも感じる根)
ぺッチャブリー県のチャアムのプラナコーン歴史公園の博物館に行くには、ケーブルカーに乗っていく。この辺りには猿がいて、どこかしこから姿を現してくる。日本猿よりは少し小柄な猿のような気がしたけれど。3分くらいのケーブルカー。
(道沿いにお猿さんが沢山)
ラーマ4世が建設した宮殿はヨーロッパと中国の様式を取り入れた物。この王様は子供たちに西洋の教育をさせるため家庭教師を招いて勉強させた。これが有名な「王様と私」という映画になったりしたものという。しかし、タイでは上映禁止らしい。
(遠くに見える塔の所からこちらに来たらしい)
タイはトンブリー朝(1767年)依頼この時代まで続いていた清への朝貢を廃し、この王様の時期に柵封体制から脱したという。いや、タイまでが朝貢していたとは、いかに中国の清の力がアジアでは強かったかを示すものだ。今も強大な力を持ち始めているけれど・・・。小高い丘の上にあるこの宮殿は夏の宮殿。見事に美しい景観が眼下に広がる。
ケーブルカーでまた下りて、バンブーン宮殿を見学した。ラーマ五世の時に建設され、ヨーロッパの建築様式に基づいて建てられ、ドイツ人の建築家によるといわれている。大理石が敷き詰められ、装飾や部屋のしつらえもヨーロッパ的になっていた。撮影禁止で中の様子はお伝え出来ないのですが。。。。
(バン ブーン宮殿)
ワットカムペーンレーンにあるクメールの遺跡を見る。千年前あたりにミャンマーからクメール人がやって来て築いた寺で、今もレンガ作りの祠のようなものがいくつも残されている。この寺は今では仏教寺院になっているようだ。陸続きだとこうしたせめぎ合いなどがあり、古代タイとミャンマーは何度も戦った歴史があるようだ。タイにはクメール人の遺跡が沢山あるようだ。
(沙羅双樹の花)
最後はカオルアン洞窟寺。ここは階段があると聞いていたので、覚悟しながらゆっくり足を運んだが、百段くらいあったとガイド氏が言っていた。薄暗い洞窟ではコウモリも飛び交っていた。寺を守る尼さんだろうか、その人ともう一人女の人がいたけれど、平日のせいか観光客は私達だけだった。ここの途中で私のカメラのバッテリー切れとなり、スマホ撮影となったのだが、暗い所でピントが合わず・・・。
(ここを下に降りてゆく)
(この日は薄曇り 晴れていれば青い空が見え光が射す)
何か所かに釈迦像が安置され、上には穴が開いていて空も見えているところがある。随分奥まで洞窟はあり、よくこんな所に何故寺を?と私は思った。それにしても仏教国、街のあちこちにも祠があり、道路では仏壇に飾る花輪を売っているオバサンも沢山いる。ガイド氏と一緒に仏像の前で祈りをささげたのだけれど、拝み方が丁寧でちゃんとお教を唱えていた。信仰心が薄れている現代社会だけれど、敬虔な祈り を見ると何かしら一本筋の通った人生を送っている人のように、私には見える。
(道路上でお供え花を売るオバサン)
この日は歩きに歩いて25000歩以上になり、歩数計で測って最高の数値を示していた。膝を酷使しているので心配だったのだが、かなりギシギシしていたヒザも翌朝は何とか復活していてあちこち見学することが出来たのだった。体が動くうち、足で歩けるうちに・・・との思いが歩みを押していた。