図書館で本を借りた。篠田桃紅さんの「103歳になってわかったこと」という本。読書は子供の頃から好きなのでよく読むのだけれど、もう随分前から小説の類は読めない。ノンフィクション物や健康本や古代歴史本などが多い。
(クラウン プリンセス マルガリータの二番花 少し小さくなる まだ苗が若い)
篠田桃紅さんは書家、美術家で有名な方だ。現在は105歳くらいになっておられるとおもうけれど。ずーっと独身で書の美術に打ち込んでこられた方ので、二年くらい前には、テレビで密着取材ドキュメンタリーとして放送していたのを見たことがある。
(今年は額紫陽花が沢山咲いてくれた)
本文の1ページ目には「私には死生観がありません」とある。他人に死生観を問われるとそう答えると、問いかけた人は驚くという。ーーー生死は人の知能の外のこと、人の領域ではないと思うから、思いを巡らせても真理には近づかない、それならそういうことは一切考えず自然体で生きるように心がけるだけーーーという。
(いただいたオタフク紫陽花 紫陽花の種類が多いのに驚く これも挿し木をしてみよう)
私もこの1ページ目にはちょつと驚ろかされた。「下手な考え休むに似たり」というけれど、ついあれこれこの年になると考えたりするようになるものだ。自然体で生きるということは、出来るようでなかなか出来ない。
(我が家の多肉たち ミセバヤ)
ーーーどうしたら死は怖くなくなるのかーーーという問いかけには「考えることを止めれば怖くない」と答えている。また、ーーー夢中になれるものが見つかれば、人は生きていて救われるーーーとも言っている。103歳まで生きてきた人の言葉は重みがある。
(これは名前は分からないんですけど・・・きれいな多肉)
シニアといえども私の年では、篠田さんに比べればまだまだ浅い人生経験だ。子育ても終わり、夫の現役生活も終わっている今こそが、シニアこそが精神の自由を満喫できる時だと思うし、実際そうしている。けれど、その時には健康に支障が来たり、年金暮らしになったりの外的条件は厳しさを増してしまう。。。人生とはそういうものではあるけれど、その中でも自然体で行くことが大事なのかも・・・。読書はこうして時々私の精神を刺激してくれる。
(釣り鉢はヘデラとミセバヤ 下の多肉は何十年もあるものです。今年も元気)
さぁ、明日のサッカー日本対セネガルはどうなるでしょうか・・・勝ったらいいのだけど・・・・。見ごたえのある試合が多い。