先週は後半から毎日出掛ける日が続き、忙しかった。日常のリズムが崩れるので、私にとってはオーバーワーク、ちょっと疲れている。以前書いたマーラーのコンサートも無事終り、ヤレヤレとほっとしているところ。
(まだ咲いているアンジェラ)
ユダヤ人であるグスタフ マーラーは、オーストリア帝国、ボヘミア(現在のチェコ)で生まれたが(1860~1911)、オーストリア人の間ではボヘミアン、ドイツ人の間ではオーストリア人として生きていくという、根なし草のような複雑な故郷がないという思いを、生涯抱いていたという。
(マリーゴールド)
そういうマーラーが生み出した100分くらいの6楽章からなる長大な交響曲3番。1楽章は一番長くて40分近くかかる。この曲にはアルトソロと児童合唱と今回は女声合唱が付き、合わせると合唱団員だけでも100人となる。
(名護蘭を株分けした)
合唱は5楽章で5分ばかり歌うだけだが、2楽章から舞台後方奥の椅子に座って舞台上に身体を晒している。姿勢よくきちんと座りじっとしていなければならない待機時間が、ことのほか疲れた。目の前にはティンパニーやら太鼓、シンバルなど大音響の楽器があるのだが、そんな緊張した中でも、睡魔がやってきて戦わねばならなかった(笑)。
(ミニトマトの初収穫四個 )
音楽座禅のような気分になり、背筋をピンと伸ばし、身体を動かないようにしながら、大音響の中で瞑想する、けれど目をつむってはならない、という感じでへとへとになった(笑)。長い時間歌っている方がむしろ疲れない。
(梅ジャムを作ってみた 種とりが大変)
マーラーはどうしてこんな長い曲を書いたのだろう。素人耳には終わるかと思えばまた曲が立ち上がってまだまだ続くような曲。フルオーケストラで楽器の種類も多いマーラーの曲。普段こんなオーケストラの直近で音を聴くことはまずないので、私などは耳が大音響に練習の時からとても疲れた(*´ο`*)。
(スパニッシュのバラの棚にシジュウカラだろうか、止まっていたので窓から写した)
だがしかし、合唱も声という楽器の一つになって、曲の一部分を担い、オーケストラと共に長大な曲がラストを迎え終わった時、会場のブラボーという声とともに、やり終えたという達成感が湧き上がってきた。何度も足を運んだ練習のバタバタも、ドイツ語との格闘もこの瞬間のためにある。大勢で作り上げていく音楽の醍醐味がここにある。
なかなか経験することのなかったオーケストラとの共演は、いい経験であった。