関門トンネルを通って、次の宿泊先の広島県の鞆の浦へ向かった。鞆の浦といえば、やはりともの浦から平氏が船を出したり、落ち延びていく時、上臈衆をここに置き去りにして行った言い伝えなど、源平合戦に因んだものも多い。また遣唐使などの船も立ち寄った港であるという。良港として千年以上の歴史のある港である。
(ホテルの窓からの朝日)
ホテルの従業員の人が、「私は平(ヒラ)という所に住んでいますが、平氏の末裔と聞かされています」と話してくれた。また原という地名の集落もあり、そこは源氏の末裔の住んでいた所だという。その昔の歴史の跡が、鞆の浦に刻まれている。
万葉集にも、鞆の浦を詠んだ歌が8首ある。その中でも、大伴旅人が詠んだ歌、4首あるという。
我妹子が見し鞆の浦のむろの木は常世にあれど見し人ぞなき
鞆の浦の磯のむろの木見むごとに相見し妹は忘らえめやも
海人小船帆かも張れると見るまでに鞆の浦廻に波立てり見ゆ
ま幸くてまたかえり見む大夫の手に巻き持てる鞆の浦廻を
(鞆の浦歴史博物館が、小高い所に建っている そこからの鞆の浦の眺め)
「むろの木」というのが、鞆の浦歴史博物館の前庭にあった。木の名前もあまり知らない私なのだけれど、見たことのないような木だった。調べてみたら、むろの木=杜松(ねず)の木、ひのき科の常緑樹という。その昔鞆の浦に多く繁っていた木なんだろうか。
(むろの木)
ホテルは海沿いにあり、窓から海の景色がよく見えた。朝、何故か旅行では早く目が覚め、窓から朝日の上がって来る美しい海の景色を見ることが出来た。
鞆の浦の歴史博物館を見学した後、古い町並みを海辺まで歩いてみた。大きな構えの昔の酒屋などが、今も店を商っていた。細く狭い道づたいにある散髪屋さんの前で、水やりをしていたオバサンに「建物は町並みを保存するように決められているのですか」と尋ねると、「いやそんなことない、不便じゃけぇ、個人の自由やで」と言っていてちょっと意外な気がした。
(古い鞆の浦の街並み)
(歴史博物館の石垣にしだれているザクロ)
海辺近くには坂本竜馬が鞆の浦に来たときに隠れ住んだという家があった。ここで幕末の歴史がひょっこり顔を出したのが、面白かった。
(竜馬が鞆の浦に来た時隠れ住んだ家 この日は休館日で見学出来ず)
福山城にも行ったのだが、城が博物館になっていて、菊祭りが終わって城も閉館になっていて残念だった。城のあるエリアは、博物館や美術館等もあり整備された綺麗なゾーンだった。両方を見学をして 鞆の浦を後にした。
(福山城博物館になっている ここも閉館日で見学出来ず なんだかついてない私達(笑)。知らずに来た観光客がみながっかりして帰る(笑))
毎日新鮮な海の幸をタップリ食べ、旅行太りしないかと恐怖に襲われた~(笑)。美味しいプリプリの刺身。もうしばらくは、刺身は食べたくないくらい。
旅行ではいつもの何倍も歩いた。今回は歴史の旅となった。