kameKiKu’s blog、小さな庭日記

バラ好き、コーラスとパッチワークが趣味の関西在住シニア、植物と共に日々雑感

キウイ

蒔かぬ種は生えぬ、蒔いた種は自分で刈るしかない、などと様々な諺がありますね。

それ風に言うと、植えぬ木には実を付けぬ?かな。今年も、我が家で植えた老木のキウイが実を付け、収穫出来た。旅行のために収穫日が五日くらい遅くなったが、大小合わせて70個余り収穫出来た。

 

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キウイはあんな地味な色なので、小鳥に食べられることは全くないと思っていたのに、収穫が遅れたせいなのか、一個だけ食べられて半分くらいになったままぶら下がっていたものがあったので、少し驚いたw(゚o゚)w。

 

(我が家の新顔   皇帝ダリア 、名前どおりスクッと空に向かって堂々と咲いている。自立出来るのかと思っていたけれど、2メータくらいだけれど自立している。)

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以前にも書いたけれど、5.6年前には雌花が咲かなくなったのか、収穫が10個程度に激減していた。まぁほとんど世話もしない植えっぱなしなので、さすがにもっと世話をしてくれとストライキをおこしたのかもしれない。若々しい木の時は300くらいも収穫出来たものなのに~(笑)。今こうして復活してくれて、嬉しい。リンゴと袋に入れて追熟させよう。

 

(萩旅行で買った萩焼の茶碗)

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熟すといえば、以前イタリアのホテルで、キウイが固いままでフルーツのところに出されていたいたのにはエエーッ!と思った。固いままであちらの方は食べるのだろうか、今でも疑問(o・ω・o)?。

 

我が家のキウイはヘイワードというごく普通の品種だけれど、十分追熟したキウイには、ビタミンCを多く含んでいるのが一番の特徴という。。温州みかんの2倍以上、リンゴの30倍以上も含まれているという。また、タンパク質も果実の中では多く含んでいる方で、タンパク質分解酵素のアクチニジンが、肉や魚を食べた後にキウイを食べると、早く分解するため美容にもいいんだとか(笑)。何という秘めた力を持っているキウイ。

 

(辛子色のはせいたかあわだち草で染めた毛糸だと思う。杏色のは何で染めたのか忘れてしまった。何十年も編み物してなかったのに編み方を思い出せた(笑))

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 枇杷もあるのだけれど、これはほとんど小鳥さんにあげている。メジロヒヨドリシジュウカラなどが花蜜を吸いに来たりする。

 

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 蒔かぬ種は生えぬ、9月に蒔いた種のストックも、沢山芽を出したのだけれど、間引いて残った苗を育てている。霜に当てたらダメらしいので、簡易ビニール棚に入れてある。咲いてくれてるのをイメージしながら、苗をジッと見つめている(笑)。種を蒔くと育てる楽しみももらえる。

 

 

(ストックやオルレア      育苗中) 

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ところでパソコンがおかしくなってしまいました。編集中に電源が抜けてしまい四苦八苦しました。やっと何とか書き込み出来るようになりましたけど、以前とは勝手の違うことに~(泣)

旅編 5 萩 下関 鞆の浦 その3

関門トンネルを通って、次の宿泊先の広島県鞆の浦へ向かった。鞆の浦といえば、やはりともの浦から平氏が船を出したり、落ち延びていく時、上臈衆をここに置き去りにして行った言い伝えなど、源平合戦に因んだものも多い。また遣唐使などの船も立ち寄った港であるという。良港として千年以上の歴史のある港である。

(ホテルの窓からの朝日) 

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ホテルの従業員の人が、「私は平(ヒラ)という所に住んでいますが、平氏の末裔と聞かされています」と話してくれた。また原という地名の集落もあり、そこは源氏の末裔の住んでいた所だという。その昔の歴史の跡が、鞆の浦に刻まれている。

 

 

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万葉集にも、鞆の浦を詠んだ歌が8首ある。その中でも、大伴旅人が詠んだ歌、4首あるという。

       我妹子が見し鞆の浦のむろの木は常世にあれど見し人ぞなき

       鞆の浦の磯のむろの木見むごとに相見し妹は忘らえめやも

       海人小船帆かも張れると見るまでに鞆の浦廻に波立てり見ゆ

       ま幸くてまたかえり見む大夫の手に巻き持てる鞆の浦廻を

 

 (鞆の浦歴史博物館が、小高い所に建っている  そこからの鞆の浦の眺め)

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「むろの木」というのが、鞆の浦歴史博物館の前庭にあった。木の名前もあまり知らない私なのだけれど、見たことのないような木だった。調べてみたら、むろの木=杜松(ねず)の木、ひのき科の常緑樹という。その昔鞆の浦に多く繁っていた木なんだろうか。

 

(むろの木) 

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ホテルは海沿いにあり、窓から海の景色がよく見えた。朝、何故か旅行では早く目が覚め、窓から朝日の上がって来る美しい海の景色を見ることが出来た。

 

鞆の浦の歴史博物館を見学した後、古い町並みを海辺まで歩いてみた。大きな構えの昔の酒屋などが、今も店を商っていた。細く狭い道づたいにある散髪屋さんの前で、水やりをしていたオバサンに「建物は町並みを保存するように決められているのですか」と尋ねると、「いやそんなことない、不便じゃけぇ、個人の自由やで」と言っていてちょっと意外な気がした。

 

 (古い鞆の浦の街並み)

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(歴史博物館の石垣にしだれているザクロ)

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海辺近くには坂本竜馬鞆の浦に来たときに隠れ住んだという家があった。ここで幕末の歴史がひょっこり顔を出したのが、面白かった。

 

(竜馬が鞆の浦に来た時隠れ住んだ家   この日は休館日で見学出来ず)

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福山城にも行ったのだが、城が博物館になっていて、菊祭りが終わって城も閉館になっていて残念だった。城のあるエリアは、博物館や美術館等もあり整備された綺麗なゾーンだった。両方を見学をして 鞆の浦を後にした。

 

(福山城博物館になっている  ここも閉館日で見学出来ず なんだかついてない私達(笑)。知らずに来た観光客がみながっかりして帰る(笑))

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毎日新鮮な海の幸をタップリ食べ、旅行太りしないかと恐怖に襲われた~(笑)。美味しいプリプリの刺身。もうしばらくは、刺身は食べたくないくらい。

 

旅行ではいつもの何倍も歩いた。今回は歴史の旅となった。 

旅編 5 萩 下関 鞆の浦 その2

萩観光の後、下関市へは夕方着いた。まだ時間があったので、赤間神宮へ行った。赤間神宮安徳天皇をまつる神社、平家一門をまつる神社として知られている。平安時代あたりは、私の日本史の知識も朦朧としたものなのだけれど、その当たりのことは、チラリと頭にあった。

 

(赤間神宮)

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幕末から遡り平安時代の一大事件になるのだが、源平合戦で壇之浦まで追い詰められた平氏が、いよいよ敗色濃くなった時、二位の尼安徳天皇を抱き抱え、まだ何も分からない幼い安徳天皇に、阿弥陀の浄土へ行くのだと言い聞かせ、船から海中に身を投じ、建礼門院平氏の女達も次々と身を投じ平氏終焉の地となった壇之浦。

 

 (昭和40年頃に新しい社殿が建てられたようだ)

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 (楼門の所からは海が見える)

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海に向かって建つ赤間神宮は、朱塗りの楼門が際だっている。境内に立って海側を眺めると、そこには海が見え隠れするように建物が眺望を遮っていて、眺めとしては少し残念な気もした。歴史を飲み込んでいった瀬戸内海の海。何百年後の私にも感慨を抱かせる海だった。

 

(壇之浦)

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翌日は下関から門司へ走った。下関から門司はもう目の前、すぐ手が届くような近さだ。レトロなJR門司港駅に行くと、大正時代の鉄道員の制服に身を包んでいる若い駅員が、改札業務をしていた。よく見ると、他の窓口業務の駅員も全員が大正時代の制服を着て仕事をしていた。

 

 (レトロ門司港駅)

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ホームの屋根も木造で出来ていて、ぶら下がっている電灯も、昔ながらのもので、懐かしい味わいを駅全体が出していた。映画の撮影にもピッタリなような~。

 

(ホーム  や電灯がレトロ)

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駅周りは海の側で、その当たり一帯がレトロな地区になっているのか、洋館がいくつも建っている。旧門司三井倶楽部、旧門司税関、旧大阪商船等など様々な洋館が、今ではギャラリーやカフェ、レストランや店舗になって使われている。昼過ぎ次の鞆の浦へ出発した。

 

(旧門司税関この他にも沢山建物があった)

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(ブルーウィング門司    ちょうど跳ね上がった所を見た)

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旅編 5 萩 下関 鞆の浦 その1萩

世界のあちこちで大きな変化が起こって来ている中、私は萩から下関、門司、鞆の浦と夫とノンビリとドライブ旅行をしてきた(笑)。 山口県の萩、明治維新の立役者達が活躍して、そこから踊り出た所。以前にも行ったことがあるのだけど、ずいぶん前になるので、何年も前からもう一度行きたいとの思いが募っていた。

 

(指月城跡)

 

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午後3時頃に萩に到着。1番に萩城跡、指月公園へ行った。中国道を疾走中は、いいお天気でドライブ日和だったのに、どんよりと雨もようになりそうな空模様になっていた。

 

(志都岐山神社  毛利家の神社)

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あんなに明治維新のスター達を排出して、政府の中心を握っていたであろうに、城が無くなってしまうとは、残念な気がする。廃城令等日本中に出す方の側として、自分達の所を残しておくことは出来なかったのだろうけれど~。城好きな私には惜しい、との思いが。

 

(白壁の塀が続く道) 

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指月城は海に面した所にあって、他の多くの城とは雰囲気が違う。ツワブキが群れ咲いている城跡を歩き、城の在った石垣に登り想像したりした。

 

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翌日は雨、維新のスター達のいた萩の城下町をあちこち歩いた。高杉晋作伊藤博文、上級武士の口羽家住宅、勿論吉田松蔭の松下村塾、など幕末の歴史に名を残した人達の家等を見た。松下村塾など、とても小さな部屋で松蔭が講義していたのだが、、確かその松蔭が教えたのも、ごくわずかな期間だったというけれど。松陰の門下生は多い。

 

(高杉晋作の生家)

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(伊藤博文の家)

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日本史の中でも幕末の歴史が、ことのほか面白いけれど、本州の端の長州や薩摩、土佐等果てから立ち上がり、一大革命を起こしたというのが、本当に不思議に思える。

 (松下村塾)

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(松陰神社)

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(東光寺  毛利家の菩提寺)

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白壁の続く細いしっとりとした道。塀に重い実をもたれさせている夏みかん。あっちにもこっちにも夏みかんの木が植えてあり、それも何だかいい雰囲気を出している。萩をもう一度訪れることが出来て良かった。

 

(中国道では紅葉が綺麗だった)

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今回そそっかしい私は、またまた失敗をした。カメラを持って行ったのはいいのだけれど、マクロレンズのままだったので、ほとんどスマホ頼りになってしまった。トホホな私でした。その上初日のホテルで、充電器を忘れたので、その後チビチビと使うはめになり、家に帰るまでヒヤヒヤしていた。ひたすら写真だけをパシャパシャと撮っていた。 

 

そうそうどこだったかなあ、サービスエリアでトイレ休憩した時、手洗いの水道の所に、「お湯が出ます」と書いてあり、なんて親切なサービスだろうと感心した。本当に高速道路のトイレはキレイだし進化している。洋式が多くなり、喜ばしい。

 

編み棒

毛糸編みをしようと思ったら編み棒がない。ン十年前は家族のセーターなど、沢山編んでいたので、編み機や棒針の様々な号数も揃えて沢山あったはずなのに~。その頃は編み物もブームだったかも・・・。

 

(バフ ビューティー) 

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その昔毛糸も草木染めをしたりしていて、薄いアンズ色の毛糸が、かせのままで長い間たんすにしまわれていたのだが、このまま永遠にしまっとくのもと、何かにならないか引っ張り出してみた。今では、なんの植物で染めたのか定かではない。

 

この頃じゃあ、セーターもほとんど着ないし、第一薄いアンズ色なんて、全く私に似合わない色なのだ。白黒以外、濃いハッキリした色しか似合わない。まぁパジャマの上に羽織るベストでも作れるかなと思い、編み棒を探したのだが見当たらない。

 

(メアリーローズ) 

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心当たりの押し入れなどを奥まで物を出して探し回ったのに、そう影も形も見えない。息子の小学生の時に書いたお話絵本とか、習字の清書半紙等が出てきたりして、それらは捨てるとはならず、また物入れにUターン。思い出の痕跡を残しておいたのだけれど、それでもかなりのゴミ量を出し、一足早い年末の大掃除となった。

 

(ロイヤルサンセット) 

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編物はもうすることはないと、多分どこかにしまい込んでるはず。探し物が出て来ないのはスッキリしないけれど、片付けは出来た。編み棒は何とか調達しよう。

 

(例年より早く上がっている蕾)

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我が家の庭では、オールドローズがまだ緑の葉っぱを付けている。シンピジュームがいつもより早く蕾を上げているので、ちょっと驚いている。シンピはまだ家の中には取り込んでいない。

 

(野菊)

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そおそお、春に植えた皇帝ダリアが、2メートルくらいになり、花びらの色が見える蕾になっている。プランター植えなので、あまり大きくならないのかも。そのうちアップしますね。私が買った苗と、オープンガーデンのお宅で頂いた挿し木苗と、二株あり両方ともすくすく育っている。初めて植えたので何だか楽しみ。

 

(まゆみの実)

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(九月に種まきしたストック  春にうまく咲いてくれるか・・・)

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充実~今が大事

秋晴れの日も続き、過ごしやすい日々となった。日曜日、びわ湖ホールで、私が入っている合唱団の指揮者先生が持つ、五つの合唱団が集結してジョイントコンサートを行った。「歌が好き  心はひとつ」のタイトルでコンサートが開かれ、それぞれの合唱団がワンステージずつ合唱を演奏して、最後のステージでは、五つの団体全員、少年少女も含む150名以上での合同合唱をしてステージを終えた。

 

(オンシジューム)

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今回私の合唱団が歌った曲はロッシーニの「三つの聖歌」をイタリア語で。合同合唱ではモーツァルトの「アヴェヴェルムコルプス」(ラテン語)、シューベルトの「Gott meine  Zuversicht」(神は我が守り)これはドイツ語で歌い、日本人作曲家新実徳英「聞こえる」シュトラウス「ラデツキーマーチ」等四曲を大人数で歌った。

 

(ロビーから琵琶湖が見える美しい眺め  この日は雲が多かったから少し残念)

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会場は琵琶湖の湖岸にありロケーションもよく、オペラ等も度々演奏されている1800席くらいある関西でも良い響きで屈指のホール。1400人以上の観客席で埋まり、喜びを感じながら日頃の練習成果を発揮したのだった。

 

 (会場客席  リハーサルの前に撮影  この座席が沢山の観客でいっぱいに)

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今回で三回目のジョイントコンサートなのだけれど、ジョイントコンサートの次回は未定。まだまだお元気な指揮者先生も80才。大勢の声を集めて歌ったモーツァルトでは、曲が終わると指揮者先生も、しばしの間ジィ~ンとしてしておられた。音質を揃えるという難しいことを、日頃の練習から徹底したご指導を受けている150人からの大勢が作り出す音楽。大勢の観客に聴いていただいているのを、舞台の上から見ながら、私自身も演奏する緊張と喜びと感謝の気持ちを抱いた。

 

(サフラン  寄せ植えのサフランが他のに先駆けて咲いている)

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合唱人としての、私の今年の合唱イベントはこれで全て終わった。打ち上げのビールは美味しかった(o^~^o)。勿論まだまだ練習は、来年夏の単独コンサートに向けて、引き続きあるのだけど(笑)。私自身もまだまだ歌うつもり満々(笑)。

 

 (ミニバラ )

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それにしても、1月のモーツァルトの「戴冠ミサ曲」から始まり、6月のマーラーのシンフォニー3番、そして11月のジョイントコンサートと、合唱生活としてはとても充実した年であった。マーラーは、オーケストラ演奏との共演が、女声合唱として初体験で、とても楽しかった。

 

(クリスマスホーリー)

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好きなことが続けられることに感謝。「今」が大事。

距離感

今年も後二ヶ月になってしまった。飛ぶように過ぎる日々。何となくこのままのスピードでドンドン日にちを重ねて行くのかと思うと少し怖い(笑)。

 (ツワブキ)

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昨日も寒かった。寒いのは苦手。吹きさらしのホームで、電車を待っている間に、服のチョイスを間違えたのか、もっと温かいウール系の物を着てたら良かったと悔やみながら震えていた(笑)。もう11月なのだから。

 

(ミニバラ  ミニバラは病気になりやすい うどんこ病になっている) 

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周りの空気が寒くなると、ヤモリやトカゲと同じように、私の体温も低くなり手足が冷たくなる。けれどだからといってホッカイロ等持ち歩く事など、真冬でも全くしない。自力で血流を回して行かねば~(笑)。いやいやそれは昼間だけ、夜は電気敷き毛布が手放せない私(笑)ホコホコの中で眠るんです。。

 

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最近思ったのだけど、私の周りのシニアの友達は、私も含めてみんなキャピキャピしている人ばかりなのだ。気持ちが若いし、特にコーラス友達は学生気分のままのような間柄なので、キャピキャピ度も高くなる。他の集団の中にそのままで入ると、うっ空気が違う、ちょっとここでは違うかも、の思いもたまに感じたりする。。

 

(ツルヒメソバ)

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人との距離感というのは、結構難しい。知り合い程度、顔見知り、気の置けない友達とでは、距離感も違う。人とのコミニュケーションは大事なのだけれど、相手があることには、それだけストレスも生まれてきたりすることもあるし。

 

(サルビア)

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幸福な人生に必要なものは「良い人間関係」と、言われたりする。良い人間関係とは、ハーバードの精神発達研究のロバート ウォールティンさんによると、信頼のおける人、いざという時頼れる人を持っているかどうか、と言うことと言う。

 

(クレオメ)

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馬が合う合わないもあるし、相手によって距離感も違う付き合い方になるのだけれど、ストレスのない付き合いがベストだ。色々な場所で人とのコミュニケーションが大事なのだけれど、その距離感を時たま間違うことが、この年になってもまだある。人生は一生が勉強なのかも~(笑)。

 

(ペンタス

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まぁそうは言っても、キャピキャピシニアも悪くない。弾けるネアカで笑いが絶えない。気持ちの「気」もやはり大事って事だろうか。心に年は取らないでいい笑いジワを作って仲間とキャピキャピしよう。