少し前、テレビの番組「ポツンと一軒家」を見ていたら、東京や横浜で写真館を経営している四十台の男性が、愛媛だったか、とにかく四国の山を買って、そこの山の見晴らしの良いところの仮住まいの小屋に1人住み、ネットやスカイプなどを使い、仕事の経営をし、かたわら1人で家を建てている様子を映していました。
(15センチの隙間に植えている額紫陽花)
都会に生まれ、都会暮らししかしたことのないその男性は、「一軒家に住みたい」という強い望みがあったのでした。番組スタッフが何故なのか理由を問うと、「土ですよ」と言ったのでした。自分の土地の自分の土は、掘っても削っても自由だし、とか答えていました。
そのシーンを見ながら、私も遠い昔、土地を買って今の家を建てた時、ほんの少しの土地ですが、地球の中心までずーっとこの土地は私の物だ、みたいな感じを抱いた記憶があります。雑草まで可愛くなったりして・・・(笑)。なので、彼の言う気持ちが何となく分かりました。
(前回にもアップした普通の紫陽花 色が鉢植えにしてから綺麗な水色になりました)
その彼の言った「土」というもの、私も別な意味で「土」を思いました。我が家でもテラスとフェンスの間に15センチ位の土部分があるんです。狭い庭にあれこれ植物を植えている私は、その隙間にも色々植えたんです。その隙間の土の下は、テラスを作る時に下に入れた瓦礫が埋まっているはずです。少し土を運んで改良したりしながら、額紫陽花や夢乙女、アンジェラの挿し木なども植えたりしているんです、あまり期待もせず(笑)。
(これは表の庭のパレード)
そのたった15センチの隙間の土でも、今年は夢乙女がよく咲いてくれましたし、額紫陽花も花をつけているので、私は感心しているんです。もちろん多少の肥料はあげましたが、わずかな土にでも植物が育つのに驚き、私は嬉しくなりました。悪い条件であっても、植物を育んでいくその土の力、そして育った植物が私達にもたらす喜び、土がもたらす喜びというものに。
(前にもアップしましたが、夢乙女 )
それはマンションの鉢植えの土でも、とにかく多少でも土に触れるということは、人間の暮らしから取り除くことは出来ない、むしろ必要なことのような気がしています。子供の時に大いに土に触れさせたいですね。「母なる大地」、「土に還る」とか土にまつわる言葉がそれを表しているように思います。土というのが人間の原点みたいなものですね。そんなことを「土」という言葉を聞いて思ったのでした。私は毎日何等かの庭仕事で、土に触れない日はないような・・・(笑)。
(種まきをしたジニア)
その庭では、挿し木苗のランタナが別名「七変化」と言う通り、毎日違う顔を見せてくれて、私は飽きずに毎日眺めています。本当に花の造りが独特で、まるで人工的に造った物のよう、お菓子のようとも思わせられます。冬の間水挿ししていたら根が出て、無事越冬させて、四月に土に植えたものです。今年はこのランタナでしばらくの間楽しめそうです。
(ランタナの咲く様子 ちょっとピンボケ)
(虫がいました)