鶯の声が聞こえました。何てきれいな澄んだ声なんでしょう。春を感じますね。耳に鶯、足元に春の芽〜。
芍薬の芽がグングンと。芍薬も長年鉢植えだった物を昨年から地植えにしたのでした。
地植えばかりを増やしているのは、ヤッパリ老化のなせる技なんでしょうかね〜少しでも楽になるように(笑)。
オルレアも地面に張り付いていたのが、起き上がって来ました。あと2ヶ月もすると、出番が来ますね。
紫陽花も新葉を見せています。庭にもソロソロ春の訪れです。
ポピーだらけになる今年の我家、ポピーも間引いても間引いても密集、葉を開いています。
パッチの合間に図書館で借りた本を読んでいます。最近はこんな本を借りました。
読んでも解決するわけでもなく、ただなるほどと頭に入れておくだけですけれど~。
五木さんの本も。一言では言えませんが、多くの含蓄のあることが書かれています。
老年を生きるということは、それなりに悩ましいことでもあります。アッケラカンとハッピーなままではありません。
私自身はいつ死んでも悔いはない、という思いです。子供も独立してるし、子孫も出来たし、何も思うことはありません。
生きていた証は子供でしょうか、パッチの作品の数々でしょうか~。それとも生きていた証など要らないのか〜。。
生まれた瞬間から死へ向かっているという人間、生かされているその時間をどう使うのか、使い方は様々。「残されている時間」ということが、頭の隅にチラチラする老年の暮らしです。